大連市史の続編が「74年ぶり」に刊行 (産経新聞)

 昭和11(1936)年に刊行された、旧関東州(現・中国東北部)大連の市史の続編が、“74年ぶり”に完成した。ロシアが街づくりを始め、日本が発展させた港湾都市・大連のハイレベルな生活や、世界最高とうたわれた満鉄の特急「あじあ」の活躍などが、鮮やかによみがえっている。

 「続大連市史」を作成したのは出身者らでつくる「大連会」(園田信行会長、約5千人)の市史編集委員会。11年から終戦前後までを対象に政治、経済、交通、生活、教育、スポーツ、事件などあらゆる分野の資料、記録、思い出話が盛り込まれている。

 大連は19世紀末、三国干渉の代償として清から租借権を得たロシアによって街の建設がスタート。1905年、日露戦争後のポーツマス条約によって租借権を譲渡された日本が一大商港都市として発展させ、最盛期の日本人人口は20万人を超えたという。

 旧市史は昭和11年に大連市当局が刊行。その後、その復刻も行われたが、同年以降の記録は長く「空白」のまま。今回、編集委員会のメンバーは「次世代に残しておきたい」と国会図書館などに保存されている「満洲日々新聞」の記事や会員所有の資料・写真、当時の記憶を頼りに10年がかりで続編を完成させた。

 続編の特長は、公的な資料、記録だけでなく、市民の生活や風俗が写真とともに詳細に描かれ、「読みもの」としても楽しめること。例えば14年当時の「年収ランキング」によるとサラリーマン部門では満鉄総裁の12万円がトップ。当時の最低の生活水準が600円とされていたから天文学的なサラリーであったことがうかがえる。

 満鉄特急「あじあ」は最高時速130キロ、内地の「つばめ」よりはるかに速かった。冷暖房完備、展望車付きの豪華な客車を引いて大連−新京(現長春)間を約8時間半で結んだ。国際色豊かで、市史には食堂車のロシア人ウエートレスの写真が掲載されている。

 編集委員長の太田豊さん(82)によると「当時の大連は舗装道路や水洗便所を備え、教育や給与の水準も内地(日本)よりはるかに高かった」と胸を張る。当時小学生だった小寺鐵生さん(73)も「市史にある双葉山らが出場した大相撲の巡業を見に行った覚えがある。街の発展に力を尽くした先人たちの足跡が詰まっている」と懐かしそうだ。(喜多由浩) 

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